スタッフ紹介

院長 秋葉靖士

院長 秋葉靖士

出身地
千葉県銚子市
生年月日
1969 4月16日
資格
疲労回復協会会員 テクマニインストラクター
趣味
ゴルフ スポーツ観戦

こんにちは、院長の秋葉です

こんにちは、院長の秋葉です

千葉県銚子市で4人兄弟の3番目として生まれました。
過去を振り返ってみると、これまでの出来事は、すべて今の仕事とつながりがあることを感じます。

今、川口市で開業して、8年。
これまで学んだ知識と技術、そして経験。

まだまだ続くステップアップするための勉強会も積極的に参加し、みなさんが毎日を笑顔で快適に気持ちよく過ごしていただけるよう、日々努力を注いでいます。

小学生の頃

小学生の頃

外で遊ぶのが大好き、いたずらも好きな子供でした。
おまけにしょっちゅうケガをしていたので、親にはいつも心配かけていました。

小学4年の時、兄の影響で野球を始めました。
生来真面目な性格のため練習はしっかりやりました。
身長は小さい方でしたのでホームランバッターというよりは、安打が打てるタイプでした。
しっかりと送りバントができたり、ヒットが打てたので 普通なら6年生でベンチ入りできるところを5年生からベンチ入りし、サードで2番を打っていました。自分で言うのもなんですが守備が良かったんです。

銚子の町は、野球が盛んでした。小学生とは言え、練習は厳しく、ほぼ毎日練習でした。
その甲斐あって市内大会で優勝し、県大会へ出場したりと結果を残すことが出ました。
一方で頑張りすぎるのが災いして、6年生の頃には肘痛や腰痛でハリ治療に通う小学生でした。

中学生の頃

中学生の頃

中学生のとき、送りバントが得意な私はセカンドで打順は2番、いつの間にか、つなぎ役になっていました。
チャンスの時の犠打がうまく、自分はアウトになっても、ランナーを活かす。
そんなプレーを心がけていました。

中学の時の部活はあまり強くなかったなぁと今思い出しても笑ってしまいます。 あの努力はこのときの結果としては残っていませんがその後の野球生活に役立ちました。

高校生の頃

高校生の頃

2年の新人戦からレギュラーでした。
セカンド、打順は2番か6番、小中学校時代から自分はつなぎ役。

つなぎ役って、手堅くいけるタイプで、監督のサインどおりにこなせることが望まれます。
監督が安心してサインが出せるタイプ。それが私でした。

3年の夏以降はケガに悩まされました。
3年のある日、衝撃的な事が起こりました。
練習中にセカンドでノックを受けていました。
その時ボールがイレギュラーバウンドをして左目に直撃。
上まぶたが下まぶたに重なるぐらい大きく腫れ上がりました。
外傷性白内障と診断、翌年に白内障の手術を受けました。

最後は目に大きなケガをしてしまい、プレーできなくなかったのでベンチ要員でした。
チームワークがよかった私たちは夏の甲子園千葉県予選でベスト4まで行きました。

私が入学した頃の高校は、上下関係が非常に厳しかった。そういう時代でした。
入部した野球部も例に漏れず、しごきという名の暴力が存在しました。
監督にも先輩にもよく怒られました。その場の雰囲気を締めるための怒られ役、それが私でした。
先輩の叱責もよくなるためだと思い、愚痴も言いませんでした。
多分監督も私なら大丈夫だと思って怒られ役に起用したのだと思います。

私たちの先代まで、怒りのしごきが頻繁にありましたが、 我々の代になってから、我々3年生がキャプテンを中心に話し会って、怒りのしごきをやめることに決めました。
「怒りのエネルギーは練習につぎ込んだ方が得だ」という思いで団結しました。
当時の私たちは団結力があったんです。

この高校時代の野球で3つの事を学びました。

  • 協調性
  • 努力を惜しまない
  • 不遇にくさらない

最後はケガで試合に出ることは出来なかったのですが、やめることは考えませんでした。
最後までやりとおす。途中で投げ出すということはなかったです。

今振り返ると、私は小学校から高校まで休んだことがなかった皆勤賞の少年で、 怒られ役でも、ケガでも腐らなかった。
協調性を大切にする生来のつなぎ役なんだなあと思いました。

ただ、練習中に遭遇した目のケガは大きかったです。
後遺症になってしまいました。
今でもちょっと見にくいです。
この経験から健康に気をつけなくちゃと思いました。

大学生の頃

大学生の頃

専修大学経営学部に入学。
これまでの部活生活から開放され、勉強はそこそこに、楽しい学生生活を送りました。
目のケガのため、激しい運動系の部活ができなかったためインドア系に興味をもちました。

とくにハマったのは、3年半務めたバイト先で始めたビリヤードとダーツでした。
ビリヤードでは、いろいろな大会に出たものの、結果が出ませんでしたが、ダーツでは、都内の大会は勝ち抜き、関東大会に出場できました。

社会人になって

社会人になって

学生時代にファッションに興味があったのでアパレル関係に就職しました。
将来セレクトショップを開こうと思い修行先としてこの会社を選びました。

会社では、若者向けのブランドの企画も兼務させていただきました。
頑張れば頑張るだけ結果がでるし、業界の裏側も見ることができ、とてもよい経験でした。

社会人になってハマったのは、スノーボード。
遊びで始めたつもりが、本気になって、数年後にはインストラクターとして休日はスキー場でレッスンをしていました。

10年目にさしかかったとき、
勤めていた会社がバブル崩壊の影響で業績が年々悪化していきました。
退職する2年ぐらい前からノルマも厳しくなり、休みがとれない日がだんだん増えて、体調が少しずつ崩れていきました。

そして、会社の経営が大きく傾いていた時、会社が売却したブランドの権利とともに、 ブランドの担当チームごと売却先の企業に移籍しました。
しかし新会社での私たちの居場所はなく、リストラ要員になっていました。
身も心もボロボロでした。

そして退職しました。

在庫リスクによって苦労した会社を目の当たりにして、セレクトショップ開業の夢ははかなく消えました。バブル崩壊後でのアパレル起業はとても危険だと思いました。

会社を辞め、一念奮起して治療家になろうと決心しました。
アパレルとはまったく関係のない業界でしたが、自分のこれまでの人生を振り返ったときに、ケガに泣いたり、母親の肩もみで褒められた幼い頃の経験、野球部の先輩たちへのマッサージで好評だったのを思いだし、治療家が私のこれからの道だと思えたんです。
マッサージしてあげるのが特技だった。
意識していた訳ではないのですが、相手の体を気遣う人だったと思います。
そう相手を活かして自分が生きる。生来のつなぎ役、それが私なんです。

 

転機

転機

会社を退職後、カイロプラクティックの専門学校へ入学しました。
働きながら夜間の学校へ行き、無休無給で修行先のカイロプラクティック院にも通い、過去にはないぐらい勉強しました。

カイロにしたわけは、

治療家になるための学校を探すのにいくつも回りました。
10校は吟味しました。

その学校を卒業した人を探し、その人の腕前や学校のことを聞いて回りました。
整体、マッサージ、カイロなど10人位の卒業生にお金を払って施術を受けました。
そのときに原理原則があり、しっかりとした理論があったので ここを基礎にすれば間違い無いなと思ってカイロにしました。

その卒業生のひとりが後に修業先になりました。

学校では体について深いところまで学ぶのですが、それがなかなか頭に入らなかった。
今までやったことのない技術だったのでなかなか習得できなかった。
普通は、学校で練習するだけだけど、私は早く一人前になりたくて、出会った卒業生の方にお願いしてお店で修行をさせてもらいました。

修行は、在学中の2年間と卒業後の2年間、合わせて4年間つづきました。

修業時代の4年間で約17000人に施術しました。
気づいたら私がその店の売り上げメインになっていました。

2007年開業

2007年開業

修行先の院長との出会いが今のわたしの施術に大きな影響を与えてくれました。

修業先の経験で私は大切なことに気づきました。

  • まじめにやることの大切さ
  • 誤魔化した施術をせずにお客様に向き合う姿勢
  • 施術に対する考え方がちがってきた

技術だけではなく、このような大切なことを気づかせてくれた 院長とその治療院には大変感謝しています。
今の私があるのはこのときの4年間の修行のお陰だと思います。

そして開業。
修行時代のお客様が何人も来てくださいました。
今でも10年以上続いて来てくださる方もいます。

ここまで頑張れたのは、色々な人の支えのお陰だと思っています。
修行時代の先輩、お客様、そして新しいお店にも関わらず来店くださったお客様に感謝いたします。
まだまだ、治療家として頑張って行きます。
体に不調を感じましたら、我慢せずに私のところにお越しください。

今まで何ひとつ文句も言わず私を支えてくれた妻に感謝します。

人を活かすつなぎ役の私がお客様に活かされてここまでくることができました

現在

現在

全国から500名以上の治療家が所属する疲労回復協会。
私は、この協会の公認インストラクターとして当院にて現在活躍している先生方に技術や知識をお伝えする活動をしています。

最後に

最後に

私はこの街で、お体でお悩みの方を1人でも多く施術して「やりたいことが元気にできる」「普段の生活を普段どおりにあたり前にできる」のように、色々なお悩みを解消して、みなさんが幸せになるための土台作りのお役に立ちたいと思います。

身体も心も軽くなって

みなさんがいつでも気がねなくご利用できるお店づくりを心がけていきます。